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ACであるということに安心するのはちょっと待った!

ACと私の話

自分はACだ、と辿り着くまで皆さん紆余曲折を経たでしょう。
ACに思い当たって、ホッとしたことでしょう。
でも、ちょっと待って!
思考停止してしまうと、いつまで経っても脱却はできません!

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ACは自認にすぎない

ACは、当人の自認でそうであると自称できます。
つまり専門医にかかる必要がありません。

これはACにとって長所でも短所でもあります。
自認の問題なので、自分自身の考え方を変えることでACから脱却することができます。
しかし、専門医がいるわけではないので「ここに相談すればACのことを理解してもらえる」という保証はありません。
また、病気のように医師の診断によって名前がつくわけではないので、当人の思い込みで病気を見落としがちなのです。

専門医がいないということ

AC自体は病気ではありません。
だから、薬を飲んで和らげたり治癒したりはできません。
病気ではないため、ACの治療が得意な医者というのは基本ありません。
だから「全国どこへ行っても、この診療科目にかかれば良い」というものがないのです。

ACとは「考え方の癖の歪み」の問題であり、自分自身の考え方を変えるしか脱却の方法はありません。
腕の良いカウンセラーや宗教家などに「歪みを気付かせてもらう」ことはできます。
しかし最終的には「新しい考え方に自分が納得できるかどうか」なので、相談先と相談者の相性が一番大きいです。

それを相談者が判断しなければならないのです。

病気を見落としがちである、とは

ACであることが原因で、その他の病気を抱えることはままあります。
例えば鬱や双極性障害を抱える人は多いでしょう。

しかし、例えば鬱とACは別物で、それぞれ治療を要します。
卵が先か鶏が先か、そんなことを考えてもあまり意味はありません。
できることからでいいので、とにかく改善・治療に取り組むのが大事です。
できるなら同時に進めた方が良いですが、メンタルの病気に焦りはよろしくないので、できるならで十分です。

ところがACは自認の問題なので、他の病気を一切疑わない人がたまにいらっしゃるのです。

苦しみの原因はACであることかもしれませんが、その結果病気になっているなら、まず薬でコントロールできる病気の方をなんとかしたほうが、ACの脱却も効率的に進みます。
いくらACの脱却を進めたくても、病気を放置していれば病気による特性が絡んだところから全く進めなくなってしまうのです。

鬱の例で考えると
「自己肯定、自己肯定って、それができるなら苦労してない!」
みたいなところで止まりがちです。
そりゃ鬱の人が自己肯定できるはずありません。
そういう病気なんです。
でも鬱は病気ですので、ある程度薬でコントロールができます。
鬱がひどい時はACの回復も目指さない。
鬱が落ち着いている時にAC回復を図る。
というように、併発しているものと併せて進めないといけないのです。

しかしACにダイレクトにたどり着いた場合、「自認の問題である」という部分に安心して、病院にかからない人がいるのです。
病気を疑わないだけなら、他者からの指摘で気付くことがあるのでまだ良いのですが、「その病気であると思いたくないから全てをACのせいにする」という人までいます。
こういう方は要するに「自分の認めたことしか受け入れない」という性質をお持ちなので、同じACだからといってわかり合うことはまず無理です。
最悪、自分と違う部分を取り上げて「同じACじゃない!」と他者を否定してきますので、厄介です。

脱却までは、病気も疑うべし

自分は病気かも、と常に心配する必要はありません。
ただ、年に一度でも良いので、本当にACによる癖だけの問題なのか自問自答してみてください。
アレっと思うことがあれば、こころの病気も疑って調べてみてください。
何か引っかかることがあれば、カウンセリングかメンタルクリニックに!
病気かどうかの診断はプロにしかできません!
病気じゃないと太鼓判を押してもらいましょう!

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