AC脱却には苦痛が伴います。
こんなに苦しむなら、ACだと気づかなければ良かった!
という方々もたくさんいます。
でもその苦しみは、ACから回復するために必要なものなのです。
AC脱却で苦しむ理由
ACから回復するためには、自己肯定が必要です。
「ありのままの自分」と「本当の気持ち」を見つけ出すことが重要です。
しかし、生育環境が普通ではなかったために、ACは考え方や行動に「親から怒られずできるだけ平穏無事に生きるために」普通ではないクセを身につけてしまっています。
また、それを自分自身が納得して選んできたと思い込むために、正当化や合理化をしています。
「正当化や合理化が生きるために必要だった」が「本当はそんなものいらなかった」と理解して、「私はこうしたかった」という自己肯定に至るのが回復のためのステップなのですが…
わかりますか?
ACとして正しいと信じてやってきた生き方や考え方を、一度否定しないといけないのです。
今までやってきた方向とは逆ベクトルですが、今までと違った自己否定をわざわざするので苦しいのは当たり前なのです。
正当化や合理化とは
よくあるのは、親に愛されていると信じたいがために、虐待を「自分が悪いからこんなことをされるのだ」「自分がいい子になればきっと優しくしてくれる」と受け止めてしまうことですよね。
しかし、ネガティブなことだけに正当化や合理化が潜んでいるわけではないのです。
例えば自分の場合ですが…「押入れが好き」な子どもでした。
押入れって手っ取り早い秘密基地ですよね〜。
いかに快適な空間を作るか、試行錯誤してました。
今でも押入れは割と好きです。
この「押入れが好き」という部分に、実は合理化が潜んでいたのです。
好きなものに潜む合理化
AC脱却は結果から原因に掘り進むことになるため、その順番で解説します。
↓なぜ押入れが好きなの?
静かで狭くて落ち着くから
↓なぜ静かなのがいいの?
誰にも見つからず泣けるから
↓なぜ見つからずに泣きたいの?
泣いているのが親に見つかると怒られるから
元を辿ると「泣きたいぐらい辛いけど、泣くと怒られてしまう」という悩みが潜んでいたわけです。
幼児が泣くと「泣けば許されると思っているのか!」「泣いてるだけじゃわからないでしょ!ちゃんと理由を説明しなさい!」と責める母親だったのですね。
いや〜、語彙も経験もない幼児に大人が納得いく説明しろって、無茶言ってるな〜w
原因から辿るとこうなります。
↓どうしたらいいか?
泣くのを我慢したけど泣いてしまう。
布団に潜って泣いたらバレなかったという成功体験をする。
↓なぜ布団で泣くのをやめたのか?
兄弟が隠れて泣いてるのがバレて怒られたので、もっとうまく隠れて泣かねばと思った。
↓なぜ押入れになったのか?
お母さん込みでかくれんぼして、押入れを開けられても見つからなかった。
私は押入れに隠れるのがうまいという安心感を得、学校をサボるのに半日隠れてもバレなかった成功体験をする。
↓
「押入れは私を一人にしてくれる空間」という認識が生まれる。
脱却した今だから、どのように辿ったのかをわかりやすくまとめられていますが、脱却途中は一つずつしか進んでいませんので、これがわかるまで何年もかかっています。
実際に秘密基地としても楽しんでいたので、そこに悩みが隠れているとか想像もしてなかったですしねえ。
・友達と子どもの頃の話をする→秘密基地談義をする→押入れあるある話をする
・別の機会で押入れあるある話をする→押入れで何をしてたか盛り上がる→よく泣いていたことを思い出す
みたいにすこーしずつ、自分が合理化のために武装した「理由」を剥がしていかねばなりませんからね。
「親に怒られずに泣きたい」ということを共感してくれる人は少ないですが、「押入れが好き」ということは共感が得やすいです。
本当は私は外で友達と遊ぶことの方が好きなんですが、押入れに隠れることを正当化・合理化するためにも「押入れが好きでもおかしくない」という内向的な性格を強調していくことになるわけです。
演技するうちにそれが当たり前になっていきますので、元来外交的だった私が、徐々に内向的になっていったわけですね。
自分がわからなくなる理由が、ここに潜んでいる
押入れが好きだという気持ちにネガティブな原因が見つかりました。
ここで「押入れは本当は好きじゃなかったのかも」という考えが浮かんできます。
けれど、秘密基地として好きな空間というのも紛れもない事実です。
そうすると「好き」「本当は好きじゃなかったのかも」という矛盾が生じることになります。
自分の「好き」という気持ちを疑うことになります。
このため、自分の気持ちがわからなくなるのです。
けれど、物事は一つの原因で結果が導かれるわけではありません。
隠れて泣きたかったという気持ちに、秘密基地作りの楽しさがブーストされてより強く好きになっただけで、隠れて泣く必要がなくても、たぶん押入れは好きだったと思うのです。
「最初は隠れて泣ける場所として、押入れが好きだった。でもそれを抜きにしても、押入れは狭くて落ち着くし好き。」
これが今の私のありのままの押入れに対する思いです。
終わりに
たった一つのエピソードでもこれだけいろんなことが絡まっています。
それが今までの生き方、考え方、行動…あらゆるものに潜んでいるんですから、苦痛を感じないわけがありません。
自分がおかしいと思わなくて大丈夫です!
自分の気持ちがわからなくなるのって、私も辛かったです。
でもそれは、今までの自分の考え方や行動に疑問を感じたからこそ生じる現象なのです。
AC脱却に向けて一歩ずつ進んでるんだって信じて乗り越えていってください。
この山を越えても好きだと言える物事は、本当に好きなことなのです。
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