なんだかよくわからないけど、生きていることが苦しい。辛い。
そう思われる方は、アダルトチルドレンという概念をご存知ですか?
アダルトチルドレンって何?
アダルトチルドレン(AC、ACOD)とは、病名ではなく概念です。
誰かから「あなたはACです」と認定されるものではありません。
自分に当てはまっていて、かつ生きることに苦しさを感じているなら、ACだと思って構わないと私は考えています。
逆にいえば、その環境に苦痛を感じていないならACではないのです。
だから環境が自分と似ていても、苦しんでいない人に「あなたもACだ」と決めつけたり、自分が苦しくないことを理由に「私はACじゃないから、あなたもACじゃない」と決めつけてはいけません。
この記事では、ACに初めて触れる人のためにざっくりと説明をします。
ただあくまで素人の調べた知識ですので、ここの内容が全てだと思わず、何か一つでも気になることがあれば文献をあたっていただけたらと思います。
アダルトチルドレンの表記の違い
もともとは英語圏で作られた言葉で
Adult Children of Alcoholics(アルコール中毒の親元で育った、成人した子ども)
というものでした。
略称はACOAが正式です。
単にアダルトチルドレンとすると「成人済みの子ども」という意味になってしまうので、英語圏ではACOAと書くのが一般的です。
日本ではAC、アダルトチルドレンで伝わりますが…
略称がACの大きな団体が存在していますので、個人的にはタグのみACODの略称を使用しています。
では、このACODとはどこからきたのでしょう?
ACはもともとACOAにみられる共通点をまとめた概念だったのですが、研究が進むにつれてアルコール中毒だけでなく、虐待を受けたり、機能不全家庭に育った人々にも同様の共通点が見られることがわかりました。
そこで生まれた言葉が
Adult Children of Dysfunctional Family(子どもの成育に悪影響を与える親のもとで育ち、成長してもなお精神的影響を受けつづける人々)
なのです。
今私たちが語っているACとは、厳密にはACODのことなんですね。
ACに見られる共通点とは
機能不全家庭で育って様々なトラウマを抱える人々は、トラウマから身を守るために考え方に偏りがあります。
ざっくり書きますと
- 破滅的で偏った一般化を行い、0か100かで物事を考えやすい
- 完璧主義で必要以上に自分を責める
- 対人関係が不得意
といった感じです。
機能不全家庭では、本来親から子へ無条件で与えられる愛が、しばしば条件付きの形で与えられます。
そのため愛情に飢えていたり、逆に愛情を恐れたりします。
また親が理論的に叱るのではなく、感情で怒るため、怒りから逃げる術を身に付けようとします。
結果、責任転嫁する癖、自分に原因がないことまで自分のせいにする癖、相手の怒りを収めるためだけに顔色を伺う癖などが付きます。
一見真逆のことも並んでいますが、これは一口に機能不全家庭といっても、家庭の状況や親の性格、子の性格によってどのような癖を得るかが異なるからです。
同じ家庭に育ったACの兄弟でも、同じような癖を持つとは限らないんです。
ACが社会で生きにくさを感じる理由
社会に出ると、これらの癖が原因で生きにくさを感じることになります。
例えば仕事でミスをした際に、目の前の上司の怒りをなんとかしなくてはと考えてしまいます。
恋人に試し行動をとってしまい、条件付きの愛に疲れたパートナーが離れていきます。
自分に非がないトラブルが発生した際に、執拗に犯人探しをしたり、周囲が引くほど糾弾したりします。
「そういう時もあるよね」というレベルの軽いミスでも「普通は誰もしない失敗をする自分は、どうしようもない人間だ」と過剰に自分を責めます。
こういった問題で悩みすぎて、生きていることに苦痛を感じているのがACなのです。
多くの問題は、無条件の愛の欠如と、それに伴う自己肯定力の低さが原因なのです。
ACではない方は、上司に叱られれば「その損失はどうすれば回避できたか」や「生じてしまった損失をどのように補填するか」ということを考えます。
恋人の愛を試すことはしません。
他者の失敗に対してもある程度寛容です。
ACだった私は、なぜみんなそうできるのかがわからず、そしてこれらができない自分を責めていました。
でも、この癖は親がむちゃくちゃだったので、その環境で生きるために必要だったから身につけてしまった癖なのです。
だからACから脱却するためには
- そういう生き方をせざるを得なかった自分を肯定すること
- もうそんな考え方は捨てていいこと
- 本当は自分はどうしたかったのか探ること
が重要だと私は考えています。
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