偽善者と言われたっていいじゃない

ACと私の話

世の中には、軽々しく他者のことを傷つける人がいますが、そういう人がよく使う言葉の一つに「偽善者」があるように思います。

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偽善じゃない本当の善意って何だろう

本当の善意って何でしょうね?

誰だって、自分の生活を維持することがまず大事です。
私の上司は
「他人を助けるなんてのは、自分の生活を確保した上で、余裕がある時だけ、余裕の部分を使ってやることだ」
と言いました。

この意味は、あなたにはわかりますか?

身を切ってまでする善行は、ありがた迷惑にもなる

私はACを脱却する前、兄弟を守らねばという思いで耐えていました。
上司から先の言葉を言われた時、目から鱗が落ちました。
そして兄弟を悲しませることになっても自立しようと決めました。

もし私が実家に居続けて、兄弟を守り続けて、私以外の兄弟が無事に脱出できたとしましょう。
兄弟がACから脱却できた時、兄弟の心は「姉を犠牲にしてしまった」という気持ちに蝕まれるでしょう。
ACになるほど他者の気持ちに敏感なんですから、そのような気持ちを抱えたままで、本当に兄弟が幸せになれるでしょうか?

「自分のうけた善意は、あの人の犠牲の上に成り立っていたのだ」
これって結構残酷な事実なんですよ。
自分の善行の結果、相手に自分という人間の人生を背負わせることになるんです。

「自分がやりたくてやっている」
そう胸を張って言えることならやればいいんです。
将来一瞬でも悔いる可能性を想像できるなら、身を切ってまですることじゃないのです。
同様に、やらなかったことを後悔しそうなら、やったほうがいいとも言えます。

誰もが100%喜ぶ善行なんてない

例えば被災した人に物資を送ったとしましょう。
被災してないけれど生活に困っている人の中には「あの人達は今まで裕福だったのに!たまたま被災しただけで援助してもらえる!」と妬んだり恨んだりする人がいます。

例えば親しい人の子にお年玉をあげたとしましょう。
子にお年玉をくれるような親戚がいない人の中には「うちのこはお年玉なんか貰ったことがないのに!かわいそうだと思いませんか!」などと言う人がいます。

例えば友人に仕事を紹介したとしましょう。
仕事を人から紹介して貰ったことがない人の中には「コネ入社だ!ずるい!」と騒ぐ人がいます。

これに関しては、労働意識も能力もないのに本来は入れるはずがない会社にねじこまれて、会社全体に迷惑がかかることがあるので難しいところもありますが…
本来紹介はあくまで紹介でしかなくて、実際に採用かどうか決めるのは会社の人事権もつ人の問題なので…
コネ入社してきた人より、それを許す会社の体制を問題にした方がいいと思います。

要するに、何をしたところで文句を言う人をゼロにすることはできないのです。

偽善と言われて辞めたくなるなら、辞めてもいい

善行は、自分が余裕を持ってやれる範囲でやればいいのです。
偽善者と言われて心がすり減るなら、辞めてもいいのです。

でも、だいたい「偽善者」と人に対して言う人のほうがより酷い偽善者です。

偽善者と他者を批判するのはなぜでしょうね?
他人が他人にどんな善意を示そうが、その人には関係ないことなんですよ?

「自分以外が利益を享受するのが気にくわない」
「自分が救われないのに、自分より苦労していない人間から利益を享受しているのが許せない」
こういう考え方からくる人は、めちゃくちゃ自己中です。

「自分はこんなにやっているのだから、もっとこうすべき」
「本当の善行とは自分のように無償でおこなうべき」
こういう考え方からくる人は、本当に善でしょうか?
自分の善行を他者の善行と比較している時点で、本当に裏がないと言い切れるでしょうか?

いい偽善、ダメな偽善

べつに売名目体でもいいじゃないですか。
スポーツのスポンサー、問題ありますか?
スポンサーがついてくれるから、プロのアスリートとしてスポーツに専念した生活ができるんですよ。
ベルマーク運動に問題ありますか?
グリーンマークは?

でもね、本当に善行なのか見極めないといけないことはあります。
例えばペットボトルキャップ回収運動。
あれはリサイクルで産み出せる利益よりも、輸送費などのほうが高くつきます。
プルタブの回収運動も、昔はポイ捨てされていることが多く、環境破壊にも繋がっていたので意味がありました。
けれども今のプルタブは本体から離れませんし、つけたままでちゃんとリサイクルされています。
わざわざ外してしまうことでむしろその分の金属が減ってしまい、非効率的なのです。
こういう「良いことをした気持ちになれるけれど、実際には損失が生じている」ことはやってはいけない偽善です。

発展途上国で、日本円では微々たる額だけど途上国なら大金になる額を子ども達に配ったとしましょう。
そりゃ、子ども達は目を輝かせて喜びますし、気持ちいいでしょう。
でもその子達は、働かなくても日本人観光客に媚びれば金をもらえると学習してしまいます。
それは乞食を生み出す行為です。
こういうのもやってはいけない偽善ですね。

自分が信じるなら、偽善と言われてもやるほうがいい

嫌なことを言われたから辞めるのももちろん自由ですけれど、そんなしょうもないちっぽけな人間に振り回されて、腹が立ちませんか?
私は腹が立ちます。

中抜きされて腹が立つ?
でもその団体が存在しているおかげでより多くの人が寄付をするんですよ。
ちょっと日本人は、無償ではないボランティアに対して不寛容な人が目立つように思います。
ボランティアとは完全無償でやる人助けのことではありません。
ボランティアを要請する側が、交通費や食費まで持ち出しを要求するのはおかしいことです。
本人が完全無償で良いといっているならアリですが。

そんなわけで私は、私が納得したところで、納得いく範囲で活動しますので、偽善者と言われて結構です。

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