我が家の毒親のこと

毒親・機能不全家庭
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前回の記事で、私の実父母が小学生の頃に離婚していることを書きました。
勘の良い方は「実父」という言葉でお気づきでしょう。
義父もいるということです。

義父のことは嫌いではありませんでした。
ただし、今はもう会いたくない人です。
とはいえ義父に会いたくなくなった理由は割と最近のことですので、私のACとはあまり関係がない話ですし、今後語るかは不明です。

私の実父の問題点は、昔の人にしては柔軟すぎること、女を見る目がないこと、高度経済成長期ならではの遊び人だったことですね。
つまり、一般的な夫や父親という役割に馴染むタイプではありません。
子どもは好きですが、あまり子どもの年齢に合わせることは得意ではありませんでした。
人としては尊敬していますけどね!

義父は、急に大きな子どもがたくさんできたのに、若いのに一生懸命働いて養って、背伸びして頑張ってくれているのは子どもの目からもわかりました。
実父以上に子どもが好きで、義父と母の間に生まれた兄弟と私たちとを分け隔てなく接してくれました。
ただ…再婚前は人に胸を張れない仕事をしていました。
平凡な生活をしたければ、関わってはいけない人たちです。

毒親は母

バブルで羽振りの良い頃に、短大卒の学歴より早く働く方がいいと考えて、中退して就職したのが私の母です。
派手なことが好きな目立ちたがり屋で、父の会社でそういう華やかな仕事をしていました。
それなりに美人の分類に入ると思います。
参観日は「みよちゃんのお母さんは美人だね!」と言われるので嬉しかったです。

母のえげつなさは、結婚前からです。

ふた回り離れた既婚上司と不倫。
出張が伴えばすぐに同行した男性社員と寝る。
そして私を妊娠し、不倫相手を離婚させて結婚。
なもんで、実父の兄弟からは嫌われて当然ですね。
まあそんな地雷女と遊ぶ父も父ですけども。

もともと社内恋愛禁止なのに不倫という外聞の悪さで、母は結婚を機に退職。
会社が造成した住宅地だったので、ご近所さんは父と同じ会社の人ばかり。
ご近所の奥様は「自分の夫を寝取られかねない」と母を警戒するため、子どもでも疎外感を感じました。

子どもの頃、両親の馴れ初めを聞いたりするじゃないですか。
「みよはお父さんとお母さんが結婚できるように結びつけてくれたキューピットなのよ」
って聞いていましたが…
言葉の意味を知った時、母が気持ち悪くて仕方ありませんでした。

機能不全家庭、ACは連鎖する

母方の祖母もかなり変な人です。
若い頃は母以上に感情的だったそうで、宿題をしなければランドセルごと捨てられたり、仕舞わない服をハサミで切り刻まれたりしたそうです。
祖父母も別居していますが、祖母は祖父が好きなので再婚させないために離婚しませんでした。

ただ、祖母は子どもが可愛かったので、三食きっちり食べさせて、子どもは全員就職なり大学なり希望する進路に歩ませています。
母が短大中退したのは母自身の希望です。
バブル前に女一人でそこまで育てたのは凄いことだと思います。

母もきっと、愛情に飢えたACなんだと思います。
女という武器を使って男を繋ぎ止める方法しか、愛情の得かたを理解できなかったんだと思います。
しかし、私がACに関する本を勧めても一切読んでくれませんでした。
自分の母…祖母が毒親だと認めたくなかったんでしょうね。

また、男に頼らず生きた祖母と、男の金を自分のものだと湯水のように使う母は、怒り方は似ていても怒る理由が別物です。
祖母は祖母で勝手に合鍵を作り、朝の5時に「まだ寝てるのか!」と怒鳴って起こしてくるので、母とは方向性の違う毒親です…。
とはいえ、娘が毎朝孫を起こさない、孫が食事を作っているなど、何を心配していたのか怒る気持ちはまだ理解できます。

「家族」は母にとっての家族でしかなかった

母にとっての家族は、母を中心とした繋がりです。
母のために家を買わなければ「家族のことを考えていない」
母が腹がたてば、3時間に及ぶ「家族会議」
母が自由に使えるお金が減れば「あなたの稼ぎが落ちたから、私はこんなに我慢している」
そして自由になる金(と遊び相手)が欲しくて、子どもを置いてホステスの仕事を始めました。
まあ健全な方の水商売ですけどね。

私が幼稚園の時に、最初の浮気相手と会わされました。
これは水商売を始める前のことで、確か家を建てた時の職人さんだと思います。
二人目の浮気相手は、小学生の時。
母が夜働いていた店の客で、これが義父です。

離婚していないのに、父は父で別にいるのに、母の浮気相手と家族ごっこをするのが不思議でした。
がまあ小学校中学年までは、不思議に思っても親が言うことはそういうものだと思いますよねーw

怒られることの恐怖

小学生の頃から、母は怖くて優しい存在でした。
今だから断言しますけど
「怒らなければお母さんは凄く優しくて美人で、好きだし自慢のお母さん」
「怒られるのは悪いことをするからだ」
って虐待を受ける子どもの考え方ですよねw

一日の話をするのが大体夕食だったので、夕食は複雑な気分でした。
お腹が空くから食べないわけにもいかないですが、母の機嫌を損ねると食器やお箸が飛びますし、食事を取り上げられることもありました。
かといって怒る時は食事時に限りません。
夕方怒られて食事時にもう一度怒るなども度々ありました。

食事時の罰は「食べるな」ですが、それ以外の時間の罰は、布団叩きで打たれたり、お尻にお灸を据えられることでした。
兄弟間で相互監視を要求されて、私が止めているのに兄弟が悪いことをした場合、連帯責任として私も一緒に怒られました。
私は直接悪さをしていないのであまり酷く叩かれたりお灸されたりはなかったのですが、目の前で兄弟が泣き叫ぶ姿は恐怖でしかありませんでした。

外出先や車内で悪さをした場合、山の中で置き去りにされることもありました。
あとで迎えにいってましたが、30分ぐらい放置していたので行方不明になってもおかしくないですよね…

実父は止めてくれましたが母の気持ちを正論で否定するので(まあそれが普通だと思います)、母の怒りは度々エスカレートしていました。
義父は母を抱きしめて「落ち着いてね」から始まるので、正直いって義父の頃の方が母が穏やかでした。

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