私の「醜い親への手紙」

ACと私の話

このポストは『新編 日本一醜い親への手紙』(仮題)へ応募した内容です。
ブログへ公開したものも応募可能とのことでしたので、自分がいつ、どのような内容を書いたのか、控えとして掲載しておきます。

ブログのために書いたものではありませんので、テキストの整形もしていませんし、特に画面幅の広いPCだと読みにくいと思います。
この内容で3851字あります。

元の応募期限は6/30でしたが、まだ100通に達していないとのことで7/2まで締め切りを延長されています。
書くことによって自分の気持ちを肯定することに繋がります。
1200字(約10ツイート分)から応募できますので、この機会にみなさんも書きませんか?

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母へ。

あなたは昔から、「大人になればわかる」「結婚すればわかる」「子どもができればわかる」などといって、私が苦しい、理不尽だと訴える気持ちを握りつぶしてきましたね。

高校3年生まで、あなたの「この子はしっかりしているから、全て任せています」という言葉を信じていました。
いざ受験申し込みの段階になって「うちには女を大学にやって遊ばせるような無駄金はありません」と言われたことや、土下座しても志望校に受験させてもらえなかったことは、一生忘れません。
あれは教師に見栄を張っていただけなんですね。
高3の秋から就活をしてもまともな会社が残っているはずもなく、就職浪人をすることになった私に「なぜ今まで何もしていなかったんだ」「どうしようもないクズだ」といったことも忘れていません。
学生ではなくなったこのときから、私は自分の見てきた「常識」と世間の「常識」があまりに違いすぎて、生きていることに苦しむようになりました。

私は高校在学中から、受験費用を貯めようとしていました。
だって田舎ですから。
受験するための交通費だってバカにならないこともわかっていました。
けれどバイトをしようとすると「小遣いは十分あげているんだからやりくりしろ」「そんな暇があるなら家業を手伝え」「門限があるのだから許さない」と止めましたね。
体力がなくて、山から山へのアップダウンが激しい片道1時間の自転車通学は無理だとお願いしたのに、幼馴染は自転車で通学しているだろうと定期代もくれませんでした。
近所の友人は全員バス・電車通学だったのに。
だからお小遣いはすべて交通費に消えていて、欲しいものも思うように買えませんでした。
もちろん受験費用が捻出できるわけもありません。
なぜ私が自分の受験費用を調達するのを邪魔したんでしょう?
安く都合よく使える労働力がほしかったんですよね?
でも、毎月クレジットカードのキャッシングを使って売上が入るまで先延ばしし、入れば借金を返済して豪遊する、という自転車操業生活は私は受け継ぎたくありませんでした。
一回未払いが生じればすぐに倒産してしまう状態だと、高校生でもわかります。
旅行に行ったり毛皮のコートや宝石を買うお金はあるのに、子どもの学費は積み立てていないなんてびっくりですね。
渡されるお給料は毎月たった3万で「貯金は私がしてあげているから」という言葉を信じていましたが、それもありませんでしたね。

私が事故をしたことでおりた高額な保険金も、貸してと頼まれて貸しました。
あれから10年以上たちましたが、まだ1円も返してもらっていませんね。
私の奨学金を繰り上げ返済用に貯めていたのも貸して、「責任持って返す」と約束していたのに返済せず無断で滞納していましたよね。
あなたのせいで私の信用も損なっているのに、どこが「迷惑をかけていない」のでしょうか。

大人になって思い出したことがあります。
私は小学生の頃からあなたのことが嫌いだったということです。

「手が内出血して痛いから」という理由で、布団たたきや竹刀が折れてもなお私達をぶつあなたが嫌いでした。
折れた布団たたきや竹刀って、反動を逃さないからめちゃくちゃ痛いんですよね。
裂けた竹が刺さることもありましたね。
火のついたタバコを近づけられたこともありましたね。
さすがにタバコの跡はまずいと思ったのか近づけただけで火傷は追わせませんでしたし、お灸に変えてましたけれど。
しつけのために、わざわざ一番熱く感じるお灸を買っていたんですよね。
私は何も悪いことをしていないのに「止めなかったのだから全員連帯責任だ」と目の前で他の兄弟をぶつあなたが嫌いでした。
それが理由で私は小学校から中学校の9年間、悪さばかりする兄弟を見下して嫌悪していました。
兄弟は馬鹿だと思う子どもを生み出していたんですよ?
機嫌を損ねたら山中に子どもを置き去りにするあなたが嫌いでした。
知らない場所にいつ置き去りにされるかわからなかったので、外出先では常に顔色を伺っていました。
しつけと称して、裸の幼児を家の外に締め出すあなたが嫌いでした。
裸だと恥ずかしくて、お隣さんへも助けを求められませんものね。
おねしょした兄弟の性器を「こんなに悪いちんちんならいらないね、切ろうか」とハサミを添えるようなあなたが嫌いでした。
どうして気持ちに寄り添ってあげないのか、かわいそうで仕方がありませんでした。
一番傷ついているのは、おねしょしてしまった兄弟なのに。
食事中に急に切れて、お箸を投げつけるあなたが嫌いでした。
「当たらないように狙って投げているんだから、私が怒り出したら一切動くな!」ってめちゃくちゃですね。
目に当たれば失明してましたよ。
石油ストーブが飛んで、窓が割れたこともありましたね。
そのせいで、ちょっと叱られただけでも体が硬直するような大人になってしまいました。
父にかまってもらうために、私の目の前で農薬を飲み、救急と父に電話をさせるあなたが嫌いでした。
自分のためにどれほど私が傷つくか、自分の気持ちばかりで子どもの気持ちなんて何一つ考えていないんだとよくわかりました。
農薬と、睡眠薬と、農薬。
年に1回ペースで3回ありましたね。
小学生に夫婦生活の悩みを聞かせるあなたが嫌いでした。
他の大人に私が話せない内容だって知ってました。
あなたは自分が抱えるのが苦しくなると私に背負わせたんですよね。
大人が抱えきれない苦しみを抱え込まされた子どもの気持ち、あなたには一生わからないでしょうね。
離婚もせずに、浮気相手を私達に会わせるあなたが嫌いでした。

だから離婚の際に、迷わず父を選んだんですよ。

それすら阻止しましたね。
「親子丼にされるような心配をしていた、それはお父さんがそういう経験があるからそんな想像をするんだ、そんな汚らわしい男と生活したいのか」
「お父さんと一緒に行けば学校は転校になるし、友達とも離れることになる」
「お父さんと一緒に行けば、女の子だから家事をするのにこき使われる」
「お父さんと一緒に行けば、二度と兄弟に会えなくなる」

今なら正論で返せますね。
「娘のことを心配する父親なら、そういう可能性だって危惧するでしょう。だってお義父さんはお母さんより私のほうが年齢近いもの」
「転校せずにすんだけれど、あなたの行いのせいで関わってはいけない家の子だと虐められるようになりました」
「自営業を理由に3食私に作らせていたのはお母さんですよね」
「親が離婚しようと私が兄弟やあなたに会う権利はあるんですが、それをあなたが阻止するということですかね?」

振り返れば、母が怒った理由なんて些細すぎて、いちいち思い出せないことばかりです。
テストの名前を書き忘れて0点だったとか。
おねしょしてしまったとか。
傘を引きずって壊してしまったとか。
おもちゃを外に持っていったら盗まれてしまったとか。
靴のまま車のシートに立ってしまったとか。
怒られるのが怖くて嘘をついたとか。
殴られるのが怖くて頭を庇ったとか。
別に特別悪い子どもだったわけではありませんでした。
「お母さんが嫌いだから壊すのだろう!捨てたのだろう!」って、常に子どもの言葉すら疑っていましたね。
「反抗したから許さない」って、自分の頭をかばうことも、痛みを減らすために体を丸めたり受け身を取ることも許しませんでしたね。
三時間以上正座させられて、夏でも水分を取ることも許さず、延々と打たれ、説教されましたね。
あれだけ朦朧とした状態で、何を怒られたのかいちいち覚えていられるわけがありません。

大人になり、安定した職から自営業になりました。
でもあなたの「自営業だから~できない」は、自分が時間のやりくりを出来ないことの言い訳だとしか思えません。
好きな人ができ、結婚もしました。
でもあなたの「真実の愛」とやらでバツがつくのは理解できません。
子どもも生まれましたが、子どもの手の届くところにタバコやライター、ハサミなどの危険物を置いているのは、単に母の安全意識の欠如としか思えません。
夫が、私がタバコの煙を吸わないで済むよう配慮してくれるといったら「あなたは気にしすぎ」と私の目の前で断りなくタバコを吸いましたね。
あなたの正当化は、今でも何一つ理解できません。
「家族のため」って全部「お母さんのため」でしたね。

「お母さんが私たちにしたことは、しつけの範疇を超えていたと思う、謝って」
そういったときに
「どこの家でも昔はそれが当たり前だった。まさか虐待だったとでもいいたいのか」
と言いましたね。
いつかわかってもらえるかもしれない、謝ってもらえるかもしれないという期待も潰されました。

知っていますか?
あなたが私ではなく兄弟の目の前で向精神薬を大量に飲んで、4回目の自殺未遂を図ったとき。
あなたは病院で私にカバンやイスをぶつけましたが、もうあなたにうんざりしていたほかの兄弟は、誰も駆けつけなかったんですよ。
私も一緒に救急車に乗らざるを得なかった未成年の兄弟を迎えに行っただけです。
私はカバンをぶつけられながら「薬の量を間違えてそのまま死ねばよかったのに。なんでこのキチガイはしぶとく生きているんだ。ああキチガイだからか」と思っていたんですよ。

私を苦しみから助けてくれたのは、カウンセラーや友人の存在です。
家族が大事だし、恨みで鬼のような顔をする私を家族に見せたくはないので、もうあなたに死ねとは思いません。
しかし、もう二度とあなたから搾取される人生はまっぴらです。
私はあなたと真逆の考え方で、幸せに生きます。

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