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好きと嫌いが共存しているのはおかしいことじゃない

ACと私の話

特定の誰かに対して、好きと嫌いが共存していてどっちが自分の気持ちなのかわからなくなったりしませんか?
それ、別にどちらかに決めなくていいんです。
好きと嫌いが共存していていいんです。

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好きか嫌いか一方に決めようとするのは、0か100を求めているのと同じ

毒親は我が子に100を求め、100でなければ意味がない・価値がないと言います。
ACはそれに慣れてしまっているので、同じように0か100かを求めてしまうんですね。

しかし自分が0でも100でもなくて、どうしたらいいのかわからず苦しんできたはずです。
0から100まで101通り存在しているのに、たったひとつしか許さず、残りの100通りをすべて否定しているんですから、苦しくて当たり前です。

私が好きな作品の一つに「ひぐらしのなく頃に」があります。
この一番最初のエピソードが、主人公の周辺で次々と異常なことが起こっていき、主人公は「これを読んだあなた。どうか真相(異常の原因)を暴いてください。」というメモを残して…というストーリーです。
すでに完結済みの物語ですがネタバレになるので折りたたんでおきますね。
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事実は事実でしかなく、それを受け止める人間の解釈次第で様々な結果になってしまうのが「ひぐらしのなく頃に」全編通してのストーリーです。
その様々な結果を回避して、みんなが幸せになれる方法を探す物語なんですね。
「私はただ幸せになりたいだけなのに!」とみんな自分のことしか考えていないとぶつかる一方で、理解し合うことでみんなで幸せになろうという姿勢を提示してくれるところがとても好きなんです。

私はこの作品をAC脱却前に読みまして、発想の転換をするというところに大きく影響を受けました。
自分が思い込んでいることが間違っているのかもしれない。
毒親の言葉への違和感、もっと向き合ったほうがいいのかもしれない。

そして0か100かを求められたときに、たったひとつの理想を求めて残りの100を捨てるなんて勿体ないじゃないかと思ったのです。
だってもし野菜が傷んでいて100点満点ではない状態になっていても、ダメになったところだけ捨てて、使えるところは使うでしょう?
人間だって得手不得手があるんです。

苦手なことはやらないと、いつまで経っても解決できない問題が残ってしまいます。
でも自分が苦手なことを誰かに頼んで、その人が苦手なことを私がすれば、お互い気持ちよくお互いの問題を解決できるわけですよ。
結婚もつまり、そういうことなんです。

0と100以外を受け入れるのは、許容するということ

0はできない、100は完璧にできる。
じゃあ50は途中までならできるってことでは?
70は完璧ではなくても及第点の仕上がりでできるってことですよね?
「完璧じゃないから許さない」ではなく「完璧ではなくてもできている」ことならいいじゃないですか。

洗濯物を毎日するのが100だとしましょう。
けれど今の時代は共働きが普通です。
二日に一回しかできないから50?
そんなことはありません。
環境面からみれば、毎日が100ならより環境に良いことをしているので150ですよ。
金額的にみても洗剤の使用量や水の使用量が減るため、毎日を100とすると120ですよ。
50に50と20を足したら…
あら!100以上ですね!
まあ数字は適当ですけれどw
洗濯物を毎日できなくても、着替えが足りていて、ちゃんと片付けていて、臭うほど溜まっていないなら、何の問題があるのでしょう。

一つの面では減点かもしれませんが、別の面では加点なのかもしれないんです。
完璧にできないから何もしないより、完璧じゃなくてもできることをやる人のほうがステキだと思いませんか。

好きな面と嫌いな面があっていい

人間の魅力だって、人それぞれ違います。
収入だって、多い人も少ない人もいます。
もしみんな同じ顔で、同じぐらい優秀で、家事も仕事も完璧にできたら…そんなつまらない社会ってありますか?
みんな自分に欠点がなければ、誰が誰を雇うのでしょう?
自分と同じぐらいしか能力がないなら、わざわざその人の下で働きたいですか?
そんなことになったら経済回りませんよ。

私は文章が長く、当然話も長いですw
あと「黙って聞く」のが苦手です。
授業でも質問タイムはガンガン疑問をぶつける方でした。
だから、ただ黙って私の愚痴を聞いてほしいの!という人からはよく嫌われます。
でも、私に聞いたら面白い答えや何かのヒントが出るかも、と思って困りごとを相談してきてくれる人もいます。
どっちが多いって当然後者です。
私が説教臭いのは欠点でもありますが、私自身はこのままでいいと思っています。

気になったことはすぐ調べて実践します。
でも興味の方向性が広すぎて、三十路ですが何のプロフェッショナルでもありません。
ただ、何かのプロフェッショナルは知っています。
だから私は色んな人に「こういうジャンルがあるよ」って間口が開いていることを教える役割をすればいいやと思っています。

みよさんは話が長いからな~、でも発想が面白いんだよな~。
短所と長所、両方を許容したらこうなります。
「話が長いから嫌い」と避けてしまうと、みよさんの面白さは見えなくなってしまいます。
だから好きと嫌いが両方存在していていいのです。
それは矛盾ではなく、その人のありのままの姿を受け止めているだけなのです。

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