底辺から脱出して、良くも悪くも変化しました

ACと私の話
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大きく変わった環境

地元での仕事は、家庭のことを話して会社の処理しやすいところで辞めさせてくださいと頼みました。
給料は低かったものの、ホワイトな仕事で雇用保険はかけてくれていたので「契約期限切れ、会社都合で更新せず」という書類を作ってくれました。
なので、一ヶ月遅れでの入金ではありましたが、退職翌月からすぐ失業給付が出ました。

転居先では「とりあえず住むところはあるから、前と同じ給料でも家計全体で見れば上向く」と考えて、派遣会社などに登録しました。
履歴書をPCで作成していたのがよかったのか、面接時の印象が良かったのか、一ヶ月ほどで派遣先を紹介頂けました。
この派遣先が大変肌に合っていて、独立するまで継続することになります。

派遣でしたが、運良く産休などの穴埋めの仕事につくことが出来ました。
正社員の方々と同じ業務内容で、給料は日給月給から月固定になりました。
高卒だから最低額からだけど~と言われましたが、転職しただけで月収17万円になりました。
通勤手当は満額出ます。
未経験だし無試験なのに、こんなことがあるのか!と戸惑いました。
そして「あれ?私って資格など証明書がないだけで、もしかして結構実務スキル高い?」と気づきました。

都会に出たため、電車は3~5分に1本あります。
家は駅から遠かったものの、駅と家の間にスーパーがあるため効率よく買い物ができます。
車はお金ばかりかかる無駄なものになり、手放しました。

変わった人間関係と、変わらない人

初めて務めた会社も、アルバイトで入った会社も、先輩1名とものすごく合わなくて「これだからゆとりは…」と言われていました。
それは私がグズで仕事ができないから嫌われているのだ、私が悪いんだと思っていました。

新しい職場はとても人間関係が良く、新人を育てるのに長けたベテランの多い会社でした。
私が失敗して「どうしてこうなったのかわかる?」「…○○だからですか?」「あのね…クイズじゃないんだから」と言われたことを覚えています。
代替要員なので、正社員ではありませんでしたが判子を押す権限があり、責任のある仕事をさせてもらえました。
「まずこれを覚えてくれる?それが出来たら新しいことを教えるから」と、ステップがあると明確に伝えてくれる人ばかりでした。
できることが増えるのが楽しくて、どんどん仕事を覚えました。

「これはどうしてやるんですか?」と質問したら、理屈を説明してくれる人ばかりでした。
「言われたこと以外やらなくていいの!」「くだらないこと気にしてないで、そんな暇があるならこれ覚えて!」なんて言い方をする人はいませんでした。
働くのが楽しいと思えるようになりました。
それに、私の好きなお絵かきやパソコンを「くだらない」なんていう人もいませんでした。

親から「絵ばっかり描いて。1円にもならないのに。」という否定のされ方をしていたので、漫画家でもないのに絵を描くことは穀潰しで恥ずかしいことなんだと思っていました。
それに趣味の世界って、それが好きな人や得意な人が集まるじゃないですか。
だから自分は下手の横好きなんだと思っていました。

でも、世間一般的には、自分の脳内に沸いたイメージをパパッと絵にかけるって、それだけですごいスキルだったんですね。
「負担だったら断ってくれたらいいんだけど、ここに何か絵を書かない?」と私のできることをさせてくれる会社でした。
あれ?オタクで絵を描けるって、隠しておくことじゃないの??
全然恥ずかしいことじゃなくない??
と、この辺りから母の教育に強烈な違和感を抱くようになりました。

一方、母との関係は最悪でした。
進学差別もそうですが、母は子どもの人生が自分の思うとおりでなければ不満を言い始めます。
生活保護を受けているのに、生活費を要求してくるようになりました。
毎月5万渡していましたが、少ない、もっと渡せと要求されました。

生保を受けているので自営業の利益報告しないといけないし、子どもは「生活がギリギリだから親に援助ができません」という趣旨の書類を書かされたのに…
これって援助として報告してる?
生活費渡しているのに毎日食材は私が買っているんだけど、渡したお金はどこに消えているの?

そういう疑問が消化されないまま
「私が管理してあげたほうが、絶対うまくいくから。お母さんは親なんだから、あなたに取って損するようなことするはずがないでしょう?お給料全部渡して、お小遣い制にしたほうがいっぱい貯金できるよ」
と言われました。
私が転居する際にお金では一切支えてくれなかったので、なんとなく、理屈では母に返せませんでしたが、自分の給料を預けることは拒否しました。

その時の精一杯の言い訳はこれでした。
「一人暮らししてわかったけど、税金とかの減免申請も全部お母さんがやってくれていたら、私は世間一般の人が当たり前にやっていることを何も知らないやれない人間になってしまう。少しずつでも毎月これだけ貯金できているから、心配しないで。自分でやらなきゃ意味がない。」

一緒に住んで最初は「家事をしてくれてありがとう」と言っていましたが、次第に「調味料の位置を勝手に変えないで」「もっと病気の私をいたわって」と言うようになりました。
仕事の人間関係が良くなるにつれ、より母のことがしんどくなりました。
帰宅する時間を少しでも遅くするために、一人カラオケや一人ネットカフェなどに行くようになりました。
(兄弟の食事が心配で一緒に住んだので、せいぜい1、2時間潰すだけです)

地元から離れて友人がいなくなったので、オフ会に参加し始めた頃「あなたは遊びに行く時間もお金もあっていいわねえ」と嫌味を言われたことがきっかけで、大きな喧嘩をしました。

「お母さんは病気だからしょうがないとはいえ、毎日子どもを起こすでもない、3食作るでもない、洗濯もしない、自分の昼食の後片付けすらしない。毎日帰宅してお母さんの片付けから家事が始まる私の気持ちはわかる?なんで貯金もした上で、子どものお小遣いの範囲で時間やお金をやりくりしてるのに、息抜きすら否定されなきゃならないの?私が友達を作るのは許されないことなの?」
「うるさい!私は自営業なの!家で働いてるの!サラリーマンで毎日会社に行くだけでお金がもらえる人には、私の苦労はわかりません!仕事が忙しいからできないのはしょうがないでしょ!うつ病の人間を追い詰めないで!あなたは鬼か!」
「私も毎日仕事した上で、生活費も渡してるんだけど…」
「うるさい!ここは私の家だ!文句があるならでていけ!!」
「…(出て行きたいけれど、私が出ていったら、また末っ子の生活がめちゃくちゃになる…)」
「ほらみろ!地元で一人暮らしも維持できなかったくせに偉そうに!子どもは黙って親のいう事聞いてたらいいの!」

メンタルヘルスについて独学を始めた

母がうつだと知ってから、インターネットを中心に鬱に関する情報をあさっていました。
絶対に言ってはいけないことなども調べて、母への言葉も色々選んでいました。
なのに、私が配慮するのは当たり前のことで、母が私に無茶な要求をするのも私が我慢しないといけないのかと思うと…

「クイズじゃないんだから」の意味がわからなくて引きずっていたところに、母の理不尽な要求と喧嘩で、また私は不安定になりました。
仕事ができて調子にのったり、誰もしないような失敗をしたり、浮き沈みがあるのを母に話したところ「あなたもうつなんじゃないの」と言われたのです。
私は自分が母と同じ病気かもしれないと言われてものすごくショックでした。
本当に自分がうつなのか、むしろうつだと信じたくなくて、よりうつのことを調べました。
心療内科と精神科の違いも調べました。

そしてこの頃、人格障害というものを知りました。

人格障害は診断が大変難しいということも書かれていて、その診断は精神科になるとも書かれていました。
母は心療内科は受け入れていますが、精神科は「キチガイの病院」と拒絶します。
自分だって心の病気を抱えているのに、よくも人様の病気をそのように言えたものだと幻滅したのを覚えています。

私たちは今でも、母の人格障害を疑っています。
演技性、境界性、自己愛性あたりが幼少期から覚えている限りの母の言動に似ているのです。
しかし、このあたり大変診断が難しいもので、特に演技性人格障害は「私はこう」と思い込めばそれになりきってしまうので…
精神科を拒否している以上、専門家に見ていただくことは難しいですしね…。

同時に、もし人格障害なら「病気じゃないので治らない」わけでもあるのです。
人格障害の存在を知った時に、私達が母のことを理解したり、母から理解を得ることは絶望的なのかとショックを受けました。

で、親にどう接するべきか、自分は何の心の病気で苦しいのかを調べ続けたわけですが…
調べても調べても「母はこれかも」ということは出てきても、私はこれだというものに全く当たらなかったのです。
心の病気じゃなかったなら…と人格障害を疑ったのに。
病名が存在しないほどおかしな状態なんだろうか。
しんどさは増すばかりでした。

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