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心療内科にいきたくなかったけれど、カウンセリングは受けたかった

ACと私の話
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二度目の一人暮らし

私は結局、度重なる喧嘩の末に「これ以上ここにいたら本当に病んでしまう」と脱出を決めました。
そして、かわいくて仕方がなかった兄弟に、二度目の別離の悲しさを与えてしまいました。

それでも思い切ったのは、家庭のことを相談していた上司に「兄弟が可愛いのはわかるが、まず自分の生活をきちんとしなさい」と言われたことが大きかったです。

「お姉ちゃんはあなたたちが嫌いだから出ていくんじゃないのよ。お母さんとどうしても一緒にいるのが無理なだけなの。離れれば大丈夫だから遊びに来るし、どうしても逃げる場所が欲しくなったらお姉ちゃんのところに来てもいいからね。お姉ちゃんはあなたの味方だから。」
そう言って出てきました。

今度は住居手当もいくらか出る職場だったので、お金のことは心配しなくても生活できました。
毎日怒鳴られない、自分の家事だけすればキレイ、食べ物が腐らない生活にとても楽になりました。
仕事も周囲から信頼を得られて楽しんでいました。

けれど、私にはどうしても「よくわからないけれど生きるのがしんどい」という気持ちがありました。
地元を離れてこんなに改善されたのに、なぜまだ苦しいのかがよくわかりませんでした。

ですが、母から離れてお金も時間も余裕ができたことで、ゆっくりいろんなことを見つめることができるようになっていました。

私がしんどいのは「なぜ私の親は私の気持ちを理解してくれないのだろう」という気持ちと、物理的に離れてもなお何かしらやらかす母の言動からでした。
それと、仕事で「人が気づかないことに気付くが、普通誰もやらないミスをやる」という評価が度々なされることでした。
先輩から「注意した時に顔色を伺うのやめてくれる?まるで私が悪いことをしている気持ちになるから」と言われたのもよくわからなくて困惑しました。
このセリフと似たことを、最初の職場で相性が悪かった先輩にも言われていたからです。

少しはまともになれたと思っていたけれど、結局私はなにも変わっていないのではないかと不安になりました。

無料カウンセリングを申し込むまで

広報などに書かれていたので、自治体で無料カウンセリングがあることは引っ越してからずっと知っていました。
けれど、とにかく母と同じ病気だと診断されることが怖くて、何年もカウンセリングを受けずに過ごしました。

あるとき母が余計なことをして、ついに私はある親戚と絶縁しました。
母に「私は二度とあそこには行かないから。でもお母さんと私は別物だから、お母さんはお母さんの好きにすればいいから。」と報告したところ、母から返ってきたのは驚きの言葉でした。

「○○さんはかわいそうな人なのよ、あなたがそんなこと言ったらかわいそうでしょう。謝りなさいよ。」

何を言っているんだこの人は、と思いました。

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ああこの人はいつも「家族のため」って言っていたけど、自分を中心とした自分の理想のために、家族を動かしたいだけなんだな、と気付いたのです。
悲しくて、泣くしか出来ませんでした。

そして仕事を無断欠勤しました(;´Д`)

上司が有給休暇扱いにしてくれましたが、さすがにちょっとどうかと思うと言われました。
私も生まれて初めて他者の死を願ってしまったことで、もう自分の理性だけで処理をするのは限界だと思い、無料カウンセリングを申し込みました。

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