私がACという概念に至るまでの変遷

最初の興味は虐待でした

元々私は子どもが好きです。
学生時分に憧れていたのは教職で、無理なら幼稚園教諭、年の離れた兄弟に即興でお話を作るのが好きだったので絵本作家、空想の世界繋がりでゲームを作る仕事など、とにかく何らかの形で子どもと関わることに憧れていました。
まあどれもこれも、行きたい大学を受験すらさせてもらえなかったので諦めたんですけどねw

1990年代に国会で児童虐待に関する法律が通過して、2000年代から児童虐待の相談件数がめちゃくちゃ増えたんですよ。
1000件台から10000件台に、言葉通り桁が変わりました。

私が大人になったのはそういう時期でした。
そして、兄弟の食生活を知ったのも、そういう時期だったのです。
私は児童虐待というものを知った時に、もしかして私たちが受けた「躾」の一部は虐待にあたるのではないかと考えました。

虐待が話題になったことで、幼少期の虐待事例を書いた本もたくさん出版されました。
そういう問題を取り上げるのは日本よりアメリカの方が早かったので、翻訳本もたくさん出ました。

ショッキングな内容が多いので万人にオススメはできませんが…
「”It”(それ)と呼ばれた子」
は固有名詞を覚えるのが苦手な私が今でもタイトルを覚えている珍しい本です。

けれど、ショッキングすぎたがゆえに
「うちはここまでじゃないから、愛は感じているから、虐待というのは違うかもしれない」
と思っちゃったんですねえ…

生きるのが苦しいのは心の病気?

同じ頃合いに、メンタルヘルスの問題も大きく取り沙汰されるようになりました。
人生に悲観した若者の自殺者数の増加などが深刻になってきたんですね。
「児童虐待をする親の心理」からもメンタルヘルスの話題に繋がりますし、実際親がうつと診断されましたし、私の興味がそちらへ広がるのも当然ですね。

10代の頃は若者らしく、モテるための占いとか心理学とか興味もあったので、セクシー心理学というサイトのメルマガにも登録していました。
今は書籍も出されてとても有名ですね!
当時は黒背景に白字で、フォントサイズや色を変えて主張したり、ものすごくアングラ感のあるサイトで
「なんだこの人マジで医師なのかwww全然医者っぽくないな面白いwwwww」
とツボにハマったのを覚えています。

それが、とてもキレイなイラストを描かれるファンが増えて、コラボで「マンガで分かる心療内科」という本を出されるに至ったわけですね。
もちろんサイト上でも読んでいましたが、私も買いました。
うつ病患者への対応方法などとても勉強させてもらいましたから。

それでいろんなメンタルの問題を触れるわけですが…
以前書いた通り、母に思い当たることはあれど、自分はそこまで病的ではないなあと思い至るわけです。

その中で一番母にピタッときたのが「共依存」という言葉でした。
私が親に不利益被ってまで縁を切れないのは、私が依存症で親のすねをかじっているからかと思っていたのですね。
でも、共依存なら私は問題がなくて、母の問題なのですよ。

共依存から人格障害へ

次の興味は、当然共依存する人の下地ですね。
カウンセリングを受ける前だったので、私は母を変えよう、母と分かりあおうと必死だったのです。

もうウィキペディア見たら出てきますが、ここでパーソナリティ障害(人格障害)が繋がるのです。

お母さんこれだー!!!!!

即、兄弟にURL送りつけました。
「自己愛性と境界性と演技性見て!まるでお母さんのことを説明しているみたいじゃない!?」
「本当だね…ナニコレ…」
「もしこれがお母さんの本質だったなら、私たちこれに振り回されてる被害者だよ!私たちがおかしいんじゃないんだよ!」

生きることの苦しさはまだありましたが、一筋の光明が射した瞬間でした。

そしてこの頃に、私はカウンセリングを受けることになります。
兄弟にもカウンセリングを受けたことを話しまして、兄弟も私の話を聞いてからカウンセリングを受けたそうです。

カウンセリングを受けたことで、兄弟間ではなお一層母の人格障害を疑うようになりましたが、過去に書いた通りおそらく診断は出ないだろうという結論にも至りました。
一度母のうつが悪化して、精神科への入院措置ができるかもしれないということになったのですが、なんせ本人曰く「キチガイの病院」なので…結果的に実現しませんでした。

機能不全家庭とアダルトチルドレンへ

人格障害が出ましたので、そこからこの二つに繋がるまでは早かったですね。
これまたウィキペディアから関連項目で繋がっていますしね。

表向き幸せそうな家庭だったけど、常に感じていた綱渡り感。
それを大人に言っても、私の幼少期にこういった概念を持つ人がいるはずもなく。
子どもの説明でこんな複雑な話を大人に伝えられるはずもなく。
この時初めて、周囲の大人たちが理解できないのも仕方がなかったのだと納得しました。

もし私が子どもの頃に、今のようなスクールカウンセラーという制度があったなら、私たちは社会に出てからこんなに長く苦しまなかった可能性が高いなあと思いました。
そして、まだ未成年の兄弟がいたので、下の子たちには同じ苦しみを与えたくないと決意したのです。

自分がアダルトチルドレンだと知った時、もうすでに脱却できる下地が整っていたのです。