情けは人のためならず
この言葉を知っていますか?
誰かに情けをかけることは、その人のためになるだけではなく、いずれ巡り巡ってその優しさが自分に返ってくる、という意味の言葉です。
言い換えると、誰かに善意で行動するときは、見返りを期待してするものではないとも言えます。
英語圏にもこの考え方はあって
「Pay it forward」
と言います。
ペイフォワードという映画があったので、ご存知の方もいるのではないでしょうか。
誰かに何かしてもらったら、その感謝を別の二人に渡せば、世の中は感謝で溢れるという考え方です。
日本では「恩送り」と表現されます。
親に恩返しっておかしくない?
子どもって誰が産みますか?
親ですね。
なぜ親は子を産むのでしょうか?
その時欲しかったからですね。
欲しくなければ生まなけりゃいいし、そもそも下ろすお金より避妊具の方が安いのだから避妊しなさいよって話です。
姿カタチもない子どもが「産んでください」なんてお願いできるわけではありません。
「子が私を選んでくれた」というのは、イヤイヤ期や反抗期で子育てに悩む親のための言葉であって、支配しようとする親のための言葉ではありません。
社会的に、親は子に対してどう責任があるでしょう?
一人の人間として社会に立つまで育て上げる責任があります。
ペットでも「可愛いから買ったけどやっぱりうるさいからいらない」なんておかしいですよね。
我が子にそれをいう感覚も、世間から見ればおかしいです。
言われた子がおかしいのではありません。
思うのは内心の自由ですが、それを口に出すことはおかしいのです。
社会に立つのが何歳かは、人それぞれです。
自力で立つための力が何なのかも、人それぞれです。
だから、法律上では親はこういう進路を歩ませなさいとは定めていません。
それは子の自由を奪うことにもなりますから。
ただし、裁判などで養育費を決める場合に、何歳までの養育費を確約させられるか?という基準はあります。
「子は親と同等の教育を受ける権利がある」
つまり親が大卒なら22まで、高卒なら18までですね。
なので子が虐待で親から引き離されることになった時も、この年齢まで親はお金を送るよう命令されたりします。
うちの場合は、父は古い世代なのでまだ高卒が当たり前でした。
しかし祖父母は大学進学を勧めていますし父の兄弟は実際に女性でも大学に行っています。
母も中退といえど短大へ行かせてもらっています。
面倒臭いのと自立を促すために「親の最終学歴が高校だから、同等とは高卒までだ、それ以降勉強したいなら自分で行くしかない」と兄弟には言いましたが、裁判起こすつもりがあるなら短大までは進学する権利を請求できると思います。
これらの話を総合すると、毒の要求する「恩返し」のおかしさが見えてきませんか?
親が子を産んだ以上、進学させるのは当たり前のこと。
今まで育ててやった恩を返せと要求するのは、タカリ屋と同じなのです。
義務教育は「子が教育を受ける義務」ではなく「親が子に教育を受けさせる義務」なのですよ。
産んだ以上きちんと教育を受けさせる義務がある、というのが日本という国の方針です。(罰則はありませんがね)
恩返しより恩送りが良い理由
誰かに何かをしてもらって、嬉しかったとしましょう。
それをその人に返すと、その感謝や恩は二人の間で往復して終わってしまいます。
例えば上司に奢ってもらった場合。
普通は上司の方が収入があるわけで、自分より収入の少ない人間に奢らせるなんて顔に泥を塗るような行為になってしまいます。
奢ってもらって嬉しかったなら、いずれ自分が部下を持った時に、同じように外へ連れ出して話を聞いてあげるのが恩送りです。
上司には、いただいた恩の何分の一かぐらいを、差し入れや仕事の成果としてお返しすればいいのです。
そうしてよい上下関係が順々に受け継がれていくことは、当事者二人にとどまらず、会社や社会にとってもプラスになり、結果的に上司自身にもプラスの気持ちが返せるのです。
毒親の視野は狭い
何年、何十年というスパンで物事を見ると、恩返しより恩送りの方がメリットがあるんですね。
恩返しに限らず、今目の前の悩みで私たちは苦しんでいますが、悩みの内容によっては、一見遠回りの道を選ぶ方が実は早かったりするのです。
大きくて深い洞窟に落とされました。
頭上に地上が見えているけれど、とても手は届きません。
崖をまっすぐ登れれば早いのですが、ロープもハシゴもありません。
近道しようとそこでいくら跳ねていても、いつ届く日が来るかはわかりませんよね。
ACの回復を焦る人は、この状態なのです。
しかし、後ろを振り返れば実はなだらかに斜面を登れる道があるのです。
距離は確かに長いですし、舗装された歩きやすい道路ではありません。
時々崩れそうな気をつけねばならない場所もあります。
けれどそちらの道は、一歩ずつ確実に地上へ向かって進めるのです。
毒親は、目の前の崖だけを見て
そこを登れ!登って私を引っ張れ!
と言ってきますが、放って自分は自分の道を進んでいいのですよ。
それは子が薄情なのではありません。
そこにある別の道を拒否する毒親が、視野狭窄で愚かなのです。
いらないって言葉は、辛いけどラッキー
毒親はよく、いらないとか言いますよね。
辛いですよね。
私たちは望んで毒親の元に生まれてきたわけではありません。
あなたの都合でこの世に生み出されて、あなたの都合でいらないとか言われてるわけです。
いらないって言われたら
「あっ恩返ししなくていいんだ!ラッキー!」
って思うぐらい強くなれたら理想的ですね!
「親がいないとか、世間に恥ずかしいと思われるよ」
いやいやそんなことありませんよw
そういう貧しい思想の方をふるい分けるのに、とっても便利ですよ!
そんな世間体を気にせず、ありのままの私を見てくれる人と結婚できましたよヽ(´ー`)ノ
もちろんそんな旦那を育てた両親ですから、とっても素敵な義父母です。
子どもの頃から理想にしていた親まで一度に手に入りましたよ!ばんざーい!
むしろ、子が顔を出さないことで後ろ指を差されるのは、毒親側です。
「あの人、よほど子どもに酷い仕打ちをしていたんじゃない?」
ってね。
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