私自身は選択無宗教で、スピリチュアリズムはどちらかというと否定的です。
あくまで自分の価値観において宗教が必要だと思っていないため特定の宗教・宗派に属さないことを選択しているだけで、普通に日本神道や浄土宗・浄土真宗・真言宗あたりの価値観は影響を受けています。
むしろ宗教系の学校で一時期勉強していたので、変に傾倒している人よりも詳しい部分もあったりします。
スピ系もおかしな人に困らされたことがあるので近寄りたくないだけで、話の種として占いなど好きですし、好奇心で占いを受けることもあります。
なので、自分の価値観とは切り離して、それらに傾倒する人の気持ちは想像できます。
手っ取り早く救ってくれる
宗教やスピ系のスゴイところはここです。
神や霊、あるいは何かしらの存在と、それによる人知を超えた力や影響を受け止めることで、手っ取り早く悩みを軽減してくれるのです。
多くの人は悩みが生じた時に
- ありのままを受け止め
- 原因を探り
- 出来ることと出来ないことを切り離す
という作業ができません。
みんなそんなに強くないんです。
だから、AC脱却途中の人ができない自分を責める必要はありません。
それ普通のことなんです。
普通の人ができないこと、カウンセラーがやっていることを自力でやろうとしているのですから、ものすごいことなんですよ?
自己肯定ができて、当たり前のようにこれが出来る人がいますが、むしろそのほうが少数なんです。
宗教やスピ系は、何かしらの存在と力を示すことで「ありのままを受け止める」という作業を一度棚上げしてくれているのです。
「どうしてこんなことに」
「なぜ私が苦しまなければならないの」
「あの人のせいで」
そういう理不尽な気持ちや他者を恨む気持ちを、人ではない別の存在に向けさせるわけです。
そうすると、直接自分に嫌な思いをさせた相手を、恨まなくて済むのですね。
だから、私は宗教やスピリチュアリズムとは本来「人の優しさを集めたもの」であると思っています。
優れた僧侶・講師はカウンセラーの役割も果たしてくれている
先述の行程で終わると、ただの現実逃避でしかありません。
しかし優れた宗教家やスピリチュアリズムの講師は、カウンセラー的な役割も同時に果たしているのです。
原因を探る、出来ること出来ないことを切り離す、という作業を相談者の話を聞きながらやってくれるのです。
だから、私は本当に優れた宗教家やスピリチュアリズムの講師は尊敬しています。
医師も僧侶も講師も、優れた人ばかりではない
どのような職業であっても、人として素晴らしい方もいれば、とても尊敬できない方もいます。
人としては良い人であっても、スキルが伴わない人もいます。
とても当たり前のことですよね。
医師…カウンセラーは公的に認められた資格があります。
僧侶もまあ歴史が長く、寺を持つためにそれなりに能力も必要で、信用に足るか足らないかはある程度口コミで判断できます。
しかしスピリチュアリズムに関しては、お金をつめば名乗れるものがとても多いんですね。
そうすると、講師を名乗る人間がものすごく増えますし、ハズレの割合…ろくに知識を持っていない肩書だけの人が増えるわけです。
もちろん、スピリチュアルな職業の方のすべてがそういう人ではありません。
単に基礎学力やリテラシーの有無などの比率の話なのです。
最終的には、立派なことを言っているかではなく、その人自身がどのような意思・目的でどういった活動をしていて、実績があるのかで判断するしかありません。
技法はなんでもいいが、依存や搾取には気をつけよう
優れたカウンセラー・僧侶・講師は、本当に悩み事から開放されるように導いてくれます。
決して自分に依存させようとはせず、自立・自律ができるよう示してくれます。
優れていない人たちは、本当にその人の苦悩を取り除けるかということは考えていません。
自分に依存させて、自分の利益を生み出すことを考えています。
それはつまり、毒親と同じなのです。
別に宗教やスピ系に傾倒すること自体は何も悪くありません。
しかし
- 離れることを許さない
- 時間や労力と見合わない金品を要求する
- 信じない人のことを悪く言う
- 自我を持つことを否定する
ようであれば、それは依存と搾取と洗脳です。
最初のほうで書きましたが、宗教やスピリチュアリズムとは本来「人の優しさを集めたもの」なのですね。
信じて良い優れた方々は、決して他者を恨んだり憎んだり悪く言うことを勧めたりしません。
仕方がない、当たり前の「気持ち」として受け止めてはくれますが、「あなたは間違っている」なんていう断言はしません。
毒親から逃れられても、結局搾取されたら意味がないですよね。
違和感を感じた場合は自分の直感も大事にしてください。
ACの人は自己否定的なので、食い物にされやすいのです。
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