会社で「顔色をうかがうのはやめて」と言われたら考えるべきこと

社会人になってすぐの私は、今思えばめちゃくちゃACさの出ている人間でした。
今の私なら、あのときの先輩の気持ちが想像できます。

最初の職場や転職後に言われて一番ショックだった言葉は
「顔色をうかがうのはやめて」
でした。

類似の言葉に
「あなたを叱ると小動物を怒っている気持ちになる」
「あなたがミスをしたのに、なぜ私が後ろめたい気持ちにならなきゃいけないの」
などもあります。

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確かに顔色を伺っていた

当時は、なぜそんな風に言われているのか全くわかりませんでした。
私としては、親が怒っている時と同様に、ごく当たり前に反省しているつもりでした。

けれど、それはACが毒親の怒りの嵐が通過するのを待っている行為であって、ACではない人がする「反省」とは違う物だったのです。

ACは、強く言われると「ああこの人は今怒っているのだな」と解釈します。
次に「どうすればこの状況(相手の怒り)が収まるか」を考えます。
結果、相手の言い分を聞くことに徹します。
怒りさえ収まれば解決すると思っているのです。

つまり、毒親の怒るという行為は、会社で目上が叱るのとは全くの別物なのです。

なぜ叱られるのか?

先輩や上司が叱るのは、私の行為によって大なり小なり他者へ損失が生じるためです。
上司が腹が立ったからではありません。
私が同じ失敗を繰り返さないように、会社や私のための「指導」なのです。

まれに毒親のように感情で怒るひともいますが、はっきりいって、感情をぶつけるのは社会人として間違っていると言ってもいいぐらいです。

「怒りが収まるのを待つ」という態度そのものがもうおかしいんですね。
それを普通の人に対してするのは、人の言葉が理解できないペットぐらいなのです。
だから、言葉がわからない動物を躾ける時のような罪悪感を、相手に感じさせてしまうのです。

叱られてすべきことは、怒りを収めることではありません。
叱られた内容から、自分がどういった行動をしたからミスに繋がったのか、どうすればそれを予防することができるかを考えなければならないのです。

怒ると叱るは違う

毒親が私たちにしてきたことは、自分の感情の赴くままに怒るという行為です。
毒親の気分次第ですので、そこにまっとうな理由が存在することの方がまれです。
だからこそ、ただ嵐が通り過ぎるのを待つのが正解になるのです。

しかし、先に書いたとおり、叱られるのは過ちを犯したからです。
実は会社は、あまり失敗することを問題にはしていません。
その過ちを繰り返さないように学習したかどうか、そして次に似たようなことが起きた場合に利益へ繋げられるかが重要なのです。

だから、会社で失敗をしてもあまりへこまなくて大丈夫です!
次はこうします!という前向きな反省こそが、上司の求めていることなのです。

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