前回の記事でプロポーズ頃までを書きましたが、今回は結婚する意思が二人の間で固まってから実際に入籍するまでの話を書いていきます。
全く決まらない日取りを決めていく
結婚式は1年以上先で、先に入籍だけ済ませてしまおうということで納得はしましたが、さて一体いつ頃に何をしたら良いのか?が全く決まらないまま何週間か経過します。
二人ともあまりにも記念日の類への興味がなさ過ぎて、「いつにする?」「いつでもよくない?」「めんどいなあ」となってしまったのです。
二人の誕生日も告白もプロポーズも秋冬なので、暖かい時期にしたいというところまではすぐ決まったんですけどね…
あまりにも何も進まないので、最終的に占いで入籍日を決めました。
まず、私が親から散々「女のくせにでしゃばりだ」と言われていたので、バイオリズム診断で二人のバランスが良い日(極力私が出しゃばりすぎない日)を選ぶことにしました。
ですが結構な日数がピックアップされたので、そのうち大安等縁起の良い日以外を消去することにしました。(なので私自身は大安吉日とかどうでもいい人間なのですが、入籍日は大安になりました)
次に、入籍前というかまだ夫婦になる前に、お互いの親への紹介と顔合わせ食事会はすべきだろうと思ったので、プロポーズから約半年後の「良い日」で入籍すると仮定し、そこまでで親紹介と顔合わせ食事会をしておかないとマズイだろうと考え、逆算&日程の余裕を考えて年末年始の里帰りで各親族に挨拶することにしました。
顔合わせ食事会は、親への紹介と入籍までの間で、出席者がそこそこいるので病気等で日程が変わることも考え、余裕を持った日取りで打診しました。
親への紹介
年末に私の実家、年始に夫の実家へ行きました。
夫の店に母も行ったことがありますし、私も夫の地元の祭に誘われて実家へお邪魔したことがあるので、親同士以外は面識があります。
両方の両親に、堅苦しすぎても何だから服装はオフィスカジュアル程度でいいか確認をして、全員スーツは着ない方向でまとまりました。
私たちの場合は毒母が一番うるさいので「大事なお嬢さんを頂戴することになるので…」という体で、旦那から毒母にまず挨拶に行くという体裁を取り繕うことになりました。
で、以前別記事に書きましたが、事前に今後の流れを打診していたにも関わらず、毒母がわけのわからないことを言い出して、夫から私の母への印象が最悪になりました。
私の実父との挨拶は後日さらっとランチを食べに一緒に出掛けました。
(私の両親は離婚して、異なる都道府県に住んでいます)
夫実家は、「まずは先にご挨拶に伺うべきなのに」と非礼を詫びましたが、「そんなにかしこまって挨拶されたら困る~」という和やかな空気で終わりました。
本当に和やかで何も問題もなく、特筆することはありませんでした。
顔合わせ食事会
入籍前に相手の親の顔が見えないのはどうかと思っていたので、顔合わせ食事会の日程も親への紹介の日程調整と同時に進めていました。
入籍前月に、毒母宅から比較的近い観光地の、レストランでやることにしました。
体裁を取り繕う毒母ですが「面倒だからやらなくていいんじゃない?」と結納は希望しなかったので、食事会のみになりました。
これも「結納等をやらないので、大事なお嬢さんを頂戴するからにはそちらへ行かねばならないでしょう~」という体裁を取り繕って私が提案した演出です。
共通の友人が関西中心だったので挙式も私の側で予定していたため、夫のご両親とご兄弟には「そちらにばかりご足労をおかけして申し訳ありません」と謝罪しました。
夫のご両親は「私たち、親戚でそろって旅行なんてしたことがなかったから、ちょうど良い機会だと思って連休取ったの。明日はどこそこへ行くわ!」と仰ってました。
ところが毒母が直前になって「別れた夫と同じ空気を吸いたくない」「どうせ挙式で会うのだから、私一人行かないぐらい別にいいじゃない」「あちらのご両親に日程改めてお越し頂くことはできないの?」とわがままを言い出し、「あちらは○人も仕事を調整してお越し頂くのだから、こんな間際になってから日程変更など出来ない」と伝えたところ、顔合わせ食事会を欠席しました。
そこで「食事会会場から毒母自宅まで私が運転しますので、こちらの地方まで出てきていただいた上でまだ移動させて申し訳ないのですが、母と会って頂けますか?」と夫両親にお願いしました。
もちろん夫両親も私の母に会えないことを気にされていたので、二つ返事で実現しました。
それで夫母が私のことを「うちの息子にもったいないぐらい、できた娘さんで…」と褒めてくださったのですが…
なぜか毒母は「あちらのお母さんはとてもできた人なのね。あんたがそんな気の利いたことをするはずがない」と言っていました。
入籍
占いでバイオリズムのバランスが取れている日に決めたので、平日でした。
夫が仕事に間に合うように深夜に移動してくれて、夜間窓口で提出しました。
日程は挨拶でも顔合わせ食事会でも伝えていたので、特に改めて連絡はしませんでした。
午前中に夫母がお祝いのメッセージをくれました。
私の兄弟が婚姻届を二人で持っている写真を撮ってくれました。
翌日に父が会った時におめでとうといってくれました。
毒母からは何の言葉もありませんでした。
この期間の出来事は、母にとってはしんどかったと思う
母の希望が何一つ通っておらず、しかし挙式に呼ぶ親族含め「外側」の人にはめちゃくちゃ両家のことを考えてやっている内容にしか見えないので、母は愚痴れば「子を思っていない母」のレッテルを貼られることになるのでめちゃくちゃしんどかったと思います。
私にとっては、どんどん母に冷徹に対応できるようになった期間でした。
私がかつて親のことを嘆いたときに、大人たちに封殺された感情を思い知れと思っていました。
私の母親は、娘の幸せではなく「自分が望む式を挙げるか否か」にしか興味がなく、「娘を幸せに送り出したすばらしい母親像」「娘から感謝される母親像」をやりたいだけなんだとよくわかりました。
私たち二人が自分たちで金を出して、親族に感謝を伝えけじめをつけるために挙式するのに、最低限の礼儀は通しているんだから、これ以上母のわがままを叶えてやる義理はないのです。
私にとって大事なのは母ではなく、これから新しくともに家庭を築いていく夫なのです。
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